吾輩は田舎のワーママ、名前はまだない。

地方で子育てする葛藤を希望にかえたい。

「勉強するのは何のため?」へのこたえ その1

地方の小さな町で、子どもの学び場を創ることにチャレンジしている私。

そもそもは自分の子に探求的な学びの場を提供したいが、こんな田舎にそんなものを教えてくれる場所なんてない。ないなら作ってしまえという算段で動いている。

今年度から始めた無料~安価なイベントでは参加者もぼちぼち出てきており、ありがたいことにリピータさんもついてくれているので次のステップへと踏み出すべく事業計画書を作る日々である。

 

そんな中で、「私がやろうとするサービスに来てくれるのってどんな人???????もしかして探求的な学びの場を欲してる私がこの地域では特殊????????学びってなぜ必要なの?????????てか学びってなにーーーーーー????」

と道に迷ってしまった(笑)ので、この本を読んでみて思考を深めている最中。

 

「勉強するのは何のため? 僕らの「答え」の作り方」

 

この本の内容を参考に「勉強」とは何かを考えてみることにする。

キーワードとしては、一般化問いの設定納得解ニヒリズム

ニヒリズム:「虚無主義」、答えが見つからずにもうどうでもいいやという気持ちになること。

 

わたしたちは「勉強するのは何のため?」と問われて、いい学校に入っていい就職をするためだとか、将来困らないようにするためだとか、往々にして自分の限られた体験を一般化してしまう思考の癖があるという。また、勉強は必要か?必要でないか?、詰め込み教育ゆとり教育か?などの二者択一で問いを設定していまうと、どちらかが正しいように思ってしまう思考の癖もあるという。

本書ではその思考の癖を自覚し、

  • 誰もが納得できるような本質に迫ること
  • (あちらもこちらも納得のいく)第三のアイデアを考える

この2点を意識して問いに立ち向かい、納得解を出していくアプローチが行われている。(哲学的思考)

 

では、「納得解」の見つけ方とは?

そもそも、「勉強するのは何のため?」という問いに、唯一絶対の答えはない。それは人それぞれである。物事を考えるとき、どこかに絶対的な正解があると思っているがゆえに、考えてもよくわからない、もう考えるのもめんどくさい、どうでもいいやという気持ちになる。これがニヒリズムだと著者は言う。

では問いに答えを出すには?ニヒリズムの徹底、つまり「答えなんてどこにもない」と自覚することが肝要であり、自分にとっての「正解」を見つけることが問いに対する答えであると述べられている。

そして、自分にとっての正解を見つけやすくするため、問いを見直してみると、

「なんで勉強なんかしないといけないの?」

「自分はどういうときに勉強する意味を感じられるんだろう?」

と問いを見直すことで、より納得解へと近づくことができると著者は続けている。

 

 

 

ここで、私の疑問に立ち返る。

「学びってなぜ必要なの?」これは、本書の言葉を借りれば

「私はどういうときに学ぶ意味を感じられるのか」と言い換えられる。

 

この問いに自分の「正解」を見つけることが、次につくる「学びの場」の軸になっていくだろう。

次回は自分にとっての「正解」を見つけること、このプロセスを言語化していくこととする。